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Real & True Live Series Peter Hammill (ピーター・ハミル)公演
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◆PETER HAMMILL 来日!◆

2004年以来の来日となるPeter Hammill。1947年生まれだから今年ちょうど60歳、還暦となる。2004年の来日公演は、ちょうど彼の誕生日11月5日を含んでいたが、今回はそれよりもわずかに遅い。それでも、最も誕生日に近いライブとなるだろう。

イギリスの中流家庭に生まれたPeterは10代の半ばにはアコースティック・ギターを使っての作曲を始めていたという。そしてマンチェスター大学時代にVan der Graaf Generator(ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレータ;以下VdGG)としての活動をスタートさせた。

一方、Peter Hammillのソロ・キャリアは、VdGGの4枚目のアルバム「Pawn Hearts」の録音を行う直前の時期に、当時のレーベル仲間であり、レーベルの企画したパック・ツアーで一緒にツアーを行っていたLindisfarne(リンディスファーン)のメンバーとVdGGのメンバーを中心としたレコーディングからなる1stアルバム「Fool's Mate(フールズ・メイト)」から始まっている。このアルバムではVdGGのアルバム同様にKing CrimsonのRobert Frippが数曲でギターを弾いている(しかも珍しくワウワウを使ったりもしている)。VdGG以前に書き溜めた楽曲でVdGGにはそぐわないとPeterが判断した楽曲を集めた、ということだが、その中にはJudge Smithとの共作などもあり、今もライブで演奏される人気曲も含まれている。

その後、VdGG前期と後期の狭間で、VdGGのメンバーを中心としたメンバーで「Chameleon in the Shadow of the Night(カメレオン・イン・ザ・シャドウ・オブ・ザ・ナイト)、「The Silent Corner and the Empty Stage(ザ・サイレント・コーナー・アンド・ジ・エンプティ・ステージ)」、という鮮烈なソロ・アルバムを立て続けに発表。これら2枚には完全なソロ作品と、本来VdGGのために作られた楽曲とが含まれており、現在のVdGGのツアーでも演奏されている「(in the) Black Room」や「Gog」など強烈なインパクトを持っている。その後、ソロ色を若干強めた「In Camera(イン・カメラ)」を発表。シンプルなロックンロール的な嗜好を見せ初めている楽曲が印象的だった。そのロックンロールからさらに推し進めた「パンク」な楽曲を軸とした「Nadir's Big Chance(ネイディアズ・ビッグ・チャンス)」は、VdGG再結成への布石となったアルバムだが、ここで聞ける音楽は1974年という時代にあって後のパンク・ミュージシャン達に大きな影響を与えたといわれる(ジョン・ライドンの話はあまりにも有名)。

VdGG後期は、不幸にも3枚のアルバムを発表した時点で、自作オルガンにのめり込みバンドの資金を注ぎ込み過ぎたHughと、ツアーの連続に疲れ、長男が生まれたばかりの家族との時間を増やしたかったDavidの相次ぐ脱退により終結。そのあたりの心境を反映したといわれる「Over(オーバー)」では、非常に内省的と評されるナイーヴな音楽を展開している。この頃、Peterは、バンドとソロとを並行して行っている。VdGのスタジオ作業とツアーの合間に録音されたのが「The Future Now(ザ・フューチャー・ナウ)」であるが、バンドの荒削りなヘヴィーでラウドなロック・サウンドとは対照的な、スタジオでのエフェクトなどを目いっぱい活用した、鋭利で冷徹な肌触りの、ある意味非常に人工的な作品に仕上がっている。続く「pH7」も同傾向ではあるが、手法としては、より洗練されており、その分迫力も格段に増している。実験的な楽曲と情念的な楽曲とが入り混じり、奥深い音楽となっているのだ。

1980年になると、Peterはさらに実験的な手法へと突き進むのだが、ギミック過剰と評されながらも楽曲そのものの持つパワーによって名作のひとつに挙げられることの多い「A Black Box(ア・ブラック・ボックス)」では、これでもか、と言わんばかりのゴリゴリと押してくる音楽の力によってひたすら圧倒される。LPでのB面全部を使った「Flight」は、ソロ・ライブでも演奏された唯一の長尺曲であるが、聞き始めると、否応なく集中力を高めさせられる。次に発表された「The Sitting Targets(ザ・シッティング・ターゲッツ)」は、同じ傾向の楽曲ながら、よりシンプルな印象を与えるもので、その分楽曲のよさが際立って目立っている。「Nadir's Big Chance」と並ぶ『うたもの』アルバムとして人気が高い作品であり、これまでのPeterのライブでもっとも数多く演奏された楽曲が多く含まれている。「A Black Box」と対を成し、表裏一体、陰と陽といった関係にあると言える。

Peterは、これら2枚のアルバムを中心とした楽曲に対して『バンドでライブをしたい』という欲求が強くなり、VdG解散後初めてのバンドを結成する。もちろん、あくまでもPeterのソロとしてのバンドであるためVdGG/VdGとは一線を画しているのだが、メンバー的にはVdGからGraham Smithを抜いて替わりにパンク・ロックのギタリストであったJohn Ellis(ジョン・エリス)を加えた形であった。後にPeterは『ビート・バンドをやりたかった』と述べているが、John Ellisが加わったことでバンドは非常にシャープな輪郭を持つことになった。このグループでのツアーをこなしたPeterは、そのまま、このバンドでのアルバムを製作することになる。アルバム録音に際して、バンドの名前が浮上してきたそれがKグループである。『K』とはKingのKであり、Kingとは、スタジオやライブ・ステージでのPeterのことを指す。Kグループは、「Enter k(エンターK)」と「Patience(ザ・ペイシェンス)」の2枚を録音し、精力的にツアーを行った。アルバムはともにシンプルで力強く、とてもしなやかな印象を受ける。これら2枚には後々までライブでよく演奏される楽曲が多く含まれている。

Kグループの活動が一段落ついたPeterは、どうやらリフレッシュが必要だったようだ。純粋な新作に取り掛かる前に、過去の作品からのリメイク、ライブ、オーヴァー・ダブでの再録音からなるコンピレーション・アルバム「The Love Songs(ザ・ラブ・ソングス)」をまず発表。タイトルどおり、ラブソングばかりを集めたものだ。その後、Kグループの総決算として「The Margin(ザ・マージン)」と題したライブ・アルバムを発表。これはサウンド・ボードからの録音で、『ステージ上で起きたこと』として拍手がほとんど入っていない異色のものとなった(後にPeterはCDでのリマスターの際に、オーディエンス録音をベースとしたボーナス・ディスクを付け、『客席の目の前で起こったこと』とし、オリジナル盤との対比を追加した「The Margin +(ザ・マージン・プラス)」を発表している)。いずれにせよKグループがPeterにとって特別なものであったことは間違いない。

一区切り付けた1986年に発表された「Skin(スキン)」は、再びソロでの録音作業に軸足をおいたものであった。ちょうど初の来日公演が行われた年であるため日本でも正規に発売された。新しいことに対する試行錯誤が感じられるものであったため評価は様々だが、VdGG脱退後初めてHughがゲスト参加したアルバムとしても話題となった。音的にはバンド的な志向を強く持ったものである。アナログとデジタルの入り混じったハイブリッド雰囲気の強い作品だ。続く「And close as this(アンド・クローズ・アズ・ディス)」では一転して、MIDI接続されたエレクトリック・ピアノだけを使った録音で構成された弾き語り作品。MIDIと言っても使われている音色はピアノ以外はほとんど目立つことがない。それゆえ逆にこのアルバムが一番好きだというファンも多い。ラストを飾る娘達への子守唄がとても印象的だ。Peterの試行錯誤はさらに続く。

1988年の、2度目の来日記念盤ともなった「In a Foreign Town(イン・ア・フォーリン・タウン)」は、ふたたび通常のバンド的なアプローチも含むものとなっているが、ほとんどを一人で録音している。と言ってもこれまでのいわゆる多重録音ではなく、MIDIやコンピュータ(シーケンサー)を多用したものである。正直言ってまだまだ使いこなしているとは言えないものであり、Peter自身も『一般的に最も人気のないアルバム』だと述べている。だが一方で、このアルバムはPeterが自宅スタジオであるSofa Soundでの新しい多重録音を用いたアルバム作りのベースを確立した重要なポジションにある作品でもある。新しい手法をマスターしたPeterの次の作品「Out of Water(アウト・オブ・ウォーター)」は、機械臭さがなくなり、むしろ幽玄な音世界が立ち現れている。このアルバムが言ってみれば試行錯誤の総決算であったのかもしれない。

1990年に入るとまず「Room Temperature Live(ルーム・テンパレイチャー・ライブ)」というライブ・アルバムを発表する。これはベースにNic Potter、ヴァイオリンにStuart Gordon(スチュアート・ゴードン)という変則的なトリオ編成でのもので、2枚組として発表されている。非常に静謐な印象を受ける作品だ。80年代のソロ活動の集大成でもあり、新しい活動の始まりの宣言とも言えるだろう。80年代のもうひとつの総決算として発表されたのが「The Fall of the House of Usher(ザ・フォール・オブ・ザ・ハウス・オブ・アッシャー)」である。Judge Smithによる台本とPeterによる音楽で構成され、Lena Lovitch(リーナ・ラヴィッチ)なども参加したロック・オペラである。いろんなところでの上演を可能にするためにあえてチープな楽器編成で製作した、とPeterは述べているが、打ち込みのシンセの音などあまりにもチープすぎるのでは?と思える部分もある。一方でドラマティックな展開もあり、これもまたファンの評価が極端に分かれる作品だ。

90年代の本格的なソロ作品として次に登場するは「Fireships(ファイヤーシップス)」である。「Out of Water」の延長線上にある雰囲気を保ちつつも、よりバンド的な音作りのアプローチが為されているため、この時期のアルバムの中では人気が高い一枚となっている。この年発表されたもう1枚「Spur of the Moment」(Peter Hammill/Guy Evans)は、「Fireships」とは対極にあるようなインプロビゼーションをベースとしたインストルメンタル・アルバムである。GuyとのデュオということだがMIDI楽器を駆使したエレクトロニックな作品だ。

こういった異なる方向性のアルバムが続く中、突如として発表されたのが、再びバンド編成でのアルバム「The Noise」である。これは「Fireships」と対を成す位置付けとして、「Fireships」がCalmシリーズの1作目とあったのに対して、Loudシリーズの1作目だとクレジットされている。Kグループ以来久々のバンドはドラムスにManny Elias(マニー・エライアス)、ベースにNic Potter、ヴァイオリンにStuar Gordonを配した布陣。いわゆるザ・ノイズ・バンドの出音は、Kグループとはかなり異なっており、パワフルさという点ではKグループには及ばないという評価が一般的だ。このバンドでのライブがアルバム「There goes the Daylight」として発表された。このバンドからNicが抜け、代わりにDavid Jacksonが加わる形で次の「Roaring Forties」が録音されている。この4人編成のバンドはPHQとしてツアーも行っているのだがライブ・アルバムは残していない。

ここで、この時期のバンド編成でのアルバムからセレクトされた楽曲のドイツ語バージョン「Offensichtlich Goldfisch」を発表している。ボーカルはバック・コーラスを含めてすべて録音しなおされている。同時にドイツ語バージョン2曲を含むCDシングルも発表されている。翌年はレギュラー・アルバムとして「X my Heart」が発表されているが、バンド編成ではないもののバンド的な音作りが印象的な仕上がりになっている。また、それとは別に再びインストアルバムとして「Sonix」を発表。これは80年代前半にカセットのみで発表された「Loops & Reels(ループス・アンド・リールズ)」の対となるもので、「Loops & Reels」がアナログでの実験音楽の作品であったのに対して、デジタル機器を手段として製作された実験的音楽作品というものであった。さらに同年、Fie!レーベルとしての公式なコンピレーションとして「PAST GO:Collected」を発表している。

翌1997年にはレギュラー・アルバムとして「Everyone You Hold」を発表。ソロ・レコーディングとしてとことん静謐さを湛えた作品である。一方で、Guy Evansの提案で行われたコンサートのライブ・アルバム「The Union Chapel Concert」(Guy Evans/Peter Hammill)も発表している。参加ミュージシャンがそれぞれのソロ作品を演奏し、また、ともに演奏するという形態で行われたこのコンサートでは、1曲だけVdGGの4人(Peter, Hugh, Guy, David)が『Lemmings』を演奏しており、1曲だけの再結成として奇跡的な出来事として話題になった。

1998年にはソロ・レコーディングの、より動的な作品として「This」が発表されている。ソロでありながらもバンド的でもあり、重たくも迫力に満ちたアルバムである。ここでいったん区切りがついたのか、1992年のツアーからのライブ・アルバム「Typical」を発表。これは、完全な一人だけでのライブであり、選曲された楽曲は当時の典型的なセットリストを仮想的に構成しなおしたものとなっている。クレジット上には出ていないが、ディスク2の本編終了後の長い空白の後、隠しトラックが3曲収録されている。この隠しトラックはまったく持って非「典型」的な選曲である。また、この年、かつて発表した「The Fall of the House of Usher」を、いったん解体した後、新たに自身のボーカルと楽器演奏部分を録音しなおした『Deconstructed & Rebuild』バージョンを発表している。チープな楽器編成で、というところがあまりにも気になっていたようで、分厚いギターで安っぽかったストリングス・シンセのパートを置き換えたり、ロック・バンド編成でやることにこだわったために収められていたドラムスのパートを削除したりとその印象は大きく異なるものとなった。さらに同年、インストでのインプロビゼーションのみで構成された「The Appointed Hour」(Peter Hammill/Roger Eno)を発表。それぞれのスタジオで日時を決めて同時に相手の音を聞くことなく、しかし、相手を意識しながらの即興演奏をそれぞれ録音し、後からそれらを合わせるという特殊な作品である。そして90年代最後の作品となったのは「None of the Above」。「This」の延長線上にありながらも、より深く、より遠くを目指した音作りとなっている。

そして2000年。ヴァージン・レーベルからVdGGのボックス・セット「The Box」と入門編「An Introduction」が発表された。その中には未発表のスタジオ音源やライブ音源が多く含まれ、そうでないものはリマスターされているというファンを狂喜乱舞させるものであった。その熱狂が収まった翌年には再びSonix名義でのインスト・アルバム「Unsung」を発表。ボーカリストでありながらも、すっかりインスト・アルバムも定着した感がある。ここで、Peterの試行錯誤がまた始まる。まるで70年代後半のアルバムを髣髴とさせるような意欲的な実験の要素を含んだ「What, now?」。多様な方向性はしかし、次のアルバムに至る前に前述したKグループのライブのリマスターとして「The Margin +」と「The Love Songs」の続編とでも言うべきコンピレーション「The Thin Man sings Ballads」を発表することを必要とした。そして満を持して発表されたのが、アコースティック・ギターのみでの作曲にこだわった「Clutch」である。この作品はPeterを初心に戻す役割をも果たし、復活した変則チューニングなども含めて非常に好意的に迎えられた。そして心臓発作。

2003年の最後のツアーの直前、Peterを心臓発作が襲った。幸いDavidと彼ら二人の娘達と一緒に散歩していた時であり、すぐに病院に運ばれたおかげで命に別状はなかったが、この経験がVdGGの再結成を現実のものとして大きく前進させる一因となった。この心臓発作の前にほぼ製作が完了していたアルバムが「Incoherence」であるが、これは全1曲というとんでもない作品でファンを驚かせた。同年11月の日本公演は、Peterの誕生日を含み、居合わせたファンにとっては非常に有意義な時間を共有させてもらったと言えるだろう。その時すでにVdGGの活動が始まっていたとはまだ誰も知らなかったとは言え。

ソロとしての活動も継続され、日本でもおなじみとなったStuart Gordonとのデュオ・ライブを集めた「Veracious」(Live with Stuart Gordon)を発表。そして、バンドとは対極にあるソロ活動をより強く意識した「Singularity」を発表。意欲的な音作りを見せる好作品となっている。

2005年から始まったヴァージン・レーベルからの過去作品のリマスター(一部のアルバムはボーナス・トラック付き)も順調に進み、VdGGの(Fie!から出ているエアロゾルを除く)全アルバムとPeterがヴァージンに残したソロ・アルバム13枚が今年9月ですべて出揃うことになる。今年トリオで活動再開したVdGGも、新作の録音に入っており、今後も意欲的な音楽活動が期待されている。そういう中での今回の来日公演は、1986年以来となる完全なソロ。つまり、一人きりでの公演である。ギターにせよ、ピアノにせよ、Peterの歌をサポートするために彼自身がコントロールし、ほかの誰に合わせる必要がないこのスタイルでこそ、Peter Hammillという音楽のもっとも中心に位置するものであり、これを聞かずしてPeterの音楽の本質は語れない。これこそがPeter Hammillなのだ、というステージをぜひ自分自身の目で、耳で、体験してほしい。(宮崎)


<VdGGに関する注>

マンチェスター大学へ進学したPeterが出会ったのが、やはり作詞作曲演奏歌をこなすChris Judge Smith(クリス・ジャッジ・スミス)だった。そのジャッジ・スミスの発案した中から二人が選んだ名前がVan der Graaf Generator(ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター)である。この二人を中心として学友などを巻き込んでスタートしたバンドはしかし、Judge Smithの奇妙奇天烈なステージングなどもあり、すぐに空中分解。その後、Hugh Banton(ヒュー・バントン)、Guy Evans(ガイ・エヴァンス)が加わる。デビュー・アルバムは、バンドが一旦解散していた時期に、Peterのソロ・アルバムとしてレーベルと契約が交わされたのだが、結果としてバンドでのアルバムとなった。それが現在Fie!レーベルからボーナス・トラック入りでリマスターされ再発されている「Aerosol Grey Machine(エアロゾル・グレイ・マシン)」である。

バンドはその後再びばらばらとなるが、そこにJudge Smithのバンド・メイトだったDavid Jackson(デヴィッド・ジャクソン)と、Guyのバンド・メイトだったNic Potter(ニック・ポッター)が加わる形で本格的な活動を当時新進のレーベルであったカリスマ・レーベルを拠点にはじめたのである。

カリスマでのVdGGの活動は大きく3つ、前期、後期、末期に分けられる。

前期は「The Least We Can Do Is Wave To Each Other」「H to He; Who Am The Only One」「Pawn Hearts」の3枚。いずれもいわゆるプログレッシヴ・ロックの名盤として語られることが多い。特にテクニカルな訳ではまったくないのだが、変拍子や複雑怪奇なアレンジが特徴的で、凝りに凝った仕上がりを見せている。「H to He」と「Pawn Hearts」にはゲストとしてKing CrimsonのRobert Frippが参加していることでも話題となった。もっとも「Pawn Hearts」でのRobertの存在感はきわめて薄く、バンドの個性の方が圧倒的に勝っている。

後期は「Godbluff」「Still Life」「World Record」の3枚。前期から3年強のブランクを経て発表された名作「Godbluff」は前期の「Pawn Hearts」と並び人気が高い。いや、人気が高いという点では「Still Life」も負けてはいない。いずれも前期と比べると、よりハード・エッジである反面、よりナイーヴな面を持ち合わせており、バンドの成熟ぶりを窺わせる。前期と比べると少々シンプルに聞こえるが、それはむしろ前期が複雑すぎたからだと言えるだろう。

末期は「The Quiet Zone, The Pleasure Dome」「Vital」の2枚である。と言ってもスタジオ録音は前者のみ。後期のメンバーから残ったのはPeterとGuyの二人だけ。そこに前期の前半でベースを弾いていたNicが戻ってきている。さらに、当時同じカリスマ・レーベルに所属していたString Driven Thing(ストリング・ドリヴン・シング)を解散したばかりのGraham Smith(グラハム・スミス)がヴァイオリンで参加。まったく出音の印象の異なるバンドとなった。バンド名からも「Generator」が取れた。

VdGGの歴史はいったんここで完全に終わった。と、メンバーたち自身も思っていた。長いこと。

しかし、2005年、リユニオンVdGG「Present」が発表され、5月には復活のライブが行われた。アルバムは作曲されたディスク1とレコーディング・セッションでのインプロビゼーションを集めたディスク2とで構成されている。ライブでも演奏されたのはそのうち2曲。『リユニオン』の文字通りの意味=同窓会を象徴するようなラフな仕上がりの中にも緊張感とリラックスした雰囲気の同居する不思議な雰囲気のアルバムである。

そして今年、VdGGリユニオン・コンサートの記録である2枚組ライブ「Real Time」 (VdGG Live at Royal Festival Hall, 2005 May 6th)を発表。日本盤では、同年のツアーから採られた4曲を加えた3枚組となっている。