・共演者プロフィール
■酒井俊 ヴォイス、ヴォーカル
1976年、ジャズ・ヴォーカリストとしてキャリアをスタートさせると
同時に大きな話題をよび、後、活動休止期間を挟んで復帰してからは、当時はタブーとされていた日本語の歌も歌い始める。その後も、童謡、演歌とまで言われてしまった『満月の夕』などを、
スタンダードやトム・ウェイツ、ビクトル・ハラetc・・・と同じ歌として歌い続ける。2002年頃より、それまでのジャズの世界での自身の立ち位置を見つめ直し、根幹から音楽や歌の在り方を問い直した活動へと踏み出す。歌への探求は、歌に留まりつつも歌の領域を
拡大していくというとてつもない挑戦となった。一方で、音楽をまるで食事のように聴く人たちにだけではなく、普段まったく音楽を聴くことのない人にも圧倒的な経験をしてもらうべく変わって行った。
その場、その時を反映して毎回ゼロから歌を紡ぎ出すステージ、即興とうたわなくても充分即興的展開を楽しめるステージは、観客、演奏者ともに、失敗も成果も経験として積み重ね、開かれた歌を獲得したいと日々歌い続けている。
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鈴木理恵子 ヴァイオリン
中村仁美 篳篥
巻上公一 ヴォイス、テルミン、口琴
*巻上公一による鈴木理恵子・中村仁美の紹介
鈴木理恵子さんと知りあったのは、1996年の北九州音楽祭だったと思う。ニュージーランドの作曲家ジャック・ボディが、雲南省の4枚弁口琴の伝統音楽を採譜して弦楽四重奏にした作品に参加していたのではないだろうか。
バイオリンのフラジオレットを多用したその曲は、殊のほか美しく忘れられなかった。ぼくは高橋悠治の「狐」という作品でほら貝を吹くのに参加。
鈴木さんは、ぼくのことをずっとほら貝吹きと思っていたらしい。
その後、鈴木さんのリサイタルのゲストで呼んでいただき、ホーメイとバイオリンのデュエットの作品を作ったり、コブラに出てもらったり、高橋悠治の代役で朗読を受け持ったりと、交流を重ねてきた。彼女はスウェーデンのマルメ市立歌劇場のコンサートマスターをつとめていたこともあり、北欧からやってくるシャーマニックなパーカッショニストとの共演の話に、「是非」と即答した。
以下は、ビクターから発売された鈴木理恵子(ヴァイオリン)と高橋悠治(ピアノ)のアルバム『from the orient』用に書いた文章である。
アジアの中心は移動する。
シベリアの南トゥバ共和国にはじめて訪れた時、そこにアジアの中心の塔というオベリスクがあることを知った。奇特なイギリス人が計測の末、こここそがアジアの真ん中だと言ったのだそうだ。その後、探検が進むうちにその塔は移動していったらしく、現在は首都クィズィルのエニセイ川沿いにある。アジアというと南方を意識しがちだが、北方のロシアの一部もまたアジアだと知った時、わたしの視界は大きく広がった。
このアルバムは、モンゴルのオルティンドー、韓国の童歌、ブルネイの古謡から、日本、韓国、中国の作曲家の作品を集めたもので、そのヴァイオリンの端正さと知性で、さながらアジアの中心のゆるやかな移動を味わえる。聴くものは、アジアの探検家となり、この音楽によってアジアの中心は地理のみにあらず、その心にあると知ることだろう。そしてその目もくらむような広大さ。
一曲だけ、ニュージーランドの作曲家ジャック・ボディの作品があるが、彼もまたアジアの音をトランスクリプトする作曲家であるし、風が音を紡ぐエオリアン・ハープそのものをほとんど倍音(フラジオレット)のみで構成していて、美しい。
鈴木理恵子のヴァイオリンがまるで馬頭琴のように歌った瞬間、高橋悠治はその指を花架拳の掌法でひらりとピアノに落とす。美しい額に知性をしたためて、アジアに関しては紹介者としても深い関わりを続けてきた高橋悠治とともに、鈴木理恵子は素敵なアルバムを完成させたものだ。
中村仁美さんが参加している伶楽舎は、ブライアン・イーノがプロデュースしたこともある雅楽グループで、雅楽の源流から現代曲まで演奏する。はじめて会ったのがいつだったか、もしかしたらジョン・ゾーンのコブラに誘ったのが最初かもしれない。
雅楽の伝統楽器である篳篥のみならず、トルコのネイなども演奏するし、その長い息の演奏にも関わらず当意即妙なセンスを持っていて、コブラには何回も参加してもらっている。
今回もちょっとした思いつきで、テリエさんが持っている北欧のいにしえのムードに合わせてみたいと思ったのだ。
それに一昨年は、偶然ノルウェイのウルティマ音楽祭で会った。その時、ノルウェイの葦で作る倍音フルート(セリエフルート)に興味を持って、手に入れてきたことを、ぼくは知っているのだ。
巻上公一 |