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Real & True Live Series ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター (Van der Graaf Generator) 公演
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◆Van der Graaf Generator 解説

初期(1968-1969):

マンチェスター大学の1年生だったPeter HammillがChris Judge Smithと出会い、意気投合したことからすべてが動き出した。二人はお互いの楽曲を演奏するためのバンドを結成し、その名前としてロバート・J・ヴァン・デ・グラーフ(Robert J. Van de Graaff)博士の発明した静電気発生装置のもじりである「ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイター(Van der Graaf Generator)」という名前が付けられた。この二人にNick Pearn(b)を加えた3人が最初期のバンドの核となっている。その後、Nickが脱退。大学の友人の弟であったHugh Banton(org)が参加。この3人で積極的なプロモーションをDJやレコード会社に対して行っている。その活動の中で、バンドは不在となっていたベーシストとしてすでにプロとして活動していたKeith Elisを迎える。これにオーディションで一度は相互に蹴ったGuy Evans(ds)を加えた5人でシングルを録音したが、レコード会社との契約がこじれ、Judge Smithが去り、その後、バンドも解散。しかし、レコード会社との契約に縛られていたためPeterの
ソロ・アルバムを録音することとなり、Judgeを除くメンバーが集められ、出来上がったのが1st「Aerosol Grey Machine」であった。この時すでにマネージメントを担当していたトニー・ストラットン・スミスの尽力で、最後にはVdGG名義での発売となったのだが、無名だったアメリカで最初にリリースされ、その後ドイツとイタリアでリリースされるも、知名度の上がりつつあったイギリスではリリースされなかった。

前期(1969-1971):

「Aerosol Grey Machine」の録音で再び音楽への意欲に燃えたPeterは、HughとGuyに声をかけ、バンドを再始動させることを決意した。この3人に、まず、Guyの参加していたMisunderstoodに参加していたベーシストNic Potterが加わることとなり、その1ヵ月後には、カリスマのオーディションにJudgeのバンドのメンバーとしてやってきたDavid Jacksonがバンドに紹介され、参加することとなる。このメンバーでアルバム「The Least We Can Do Is Wave To Each Other(精神交遊)」が録音された。続く「H to He; Who Am The Only One(核融合/天地創造)」の半分の楽曲を録音した時点で、バンドの狂気じみたツアーの連続やエキセントリックさについていけなくなったNicがバンドを脱退。「H to He」の残りと4枚目「Pawn Hearts(ポーンハーツ)」を4人で録音することとなる。この2ndから4thまでのアルバムは、複雑怪奇な構成を持つ楽曲と、独特な文学性の高い歌詞、サキソフォンのゴッホと称せられたサックス、重厚なオルガンとドラムスといった要素がた
ぶんに強く、イギリスはもちろんだが、むしろイタリアやドイツでの人気が高くなっていった。そのため、年に2回のツアーなど、強行日程でのライブにメンバーが疲れ果て、ついに解散することとなる。

前期の音楽は、Darkな雰囲気を持ち、複雑なリズムやメロディなどが特徴的だが、その一方で「Refugees」や「House with No Door」「Out of My Book」など秀逸なバラッドもあり、ハードな狂気と混沌をそのまま提示しつつ、根源的な切なさを持つという極端な対比を見せている。King Crimsonがカオスを秩序化しようとしたのに対して、VdGGはカオスをあるがままに提示した。しかし、それはあまりにも深く構築された「音楽」としてであった。

空白期(1972-1975):

バンド解散後、Peterはソロ活動に移行するが、アルバムの録音にはバンドのメンバーが多く携わっている。また、楽曲によっては元々VdGGのために書かれた楽曲もあり、この時期もバンドは緩い形で結びついていたといえるだろう。その結びつきが強くなっていき、1975年のPeterのソロ・アルバム「Nadir's Big Chance」の録音によってVdGG再結成が決定的となった。

後期(1975-1977):

バンドの再結成はまずツアーから始まった。ツアーによって練り上げられた楽曲をさらに昇華させるような録音を持ってバンドが再デビューを果たしたアルバム「Godbluff」は、すでにパンクが台頭し始めていたイギリスでも強いインパクトをもって受容れられた。バンドは半年と経ずに「Still Life」を発表。より繊細な面を見せつつも、より力強い音楽を展開している。そしてツアー、またツアー。アルバム「World Record」では、Hughは自作のオルガンをようやく録音に使用しているが、このオルガンの製作費用がバンドに大きな負担となり、内部に不協和音を生んだ。結局このアルバムを最後にHughが脱退することとなった。

後期の音楽は、前期と比べ、よりシンプルでストレートだと言われることがある。それゆえ、音楽的には前期よりもハードでパワフルなものとなっている。メンバーの持つ音楽的な感情がより直接的に演奏に反映されているようにも思え、その分、前期の音楽にはなかった「リラックスした雰囲気」というものも感じられる。リラックスした、と言っても、緊張感のない音楽という意味ではない。いやむしろ、テンションという意味では前期以上に高いとすら言える。その両面のバランスが絶妙なのだ。

末期(1977-1978):

Hugh脱退後、再びNic Potterを迎え、さらに同じカリスマに所属していたString Driven Thingのヴァイオリン奏者Graham Smithを加えたが、何度かリハーサルをする間に、長男が生まれたばかりだったDavidは、Hughがいなくなったこと、ツアーの連続よりも家族と過ごす時間を増やしたい、という二つの理由から脱退。バンドはまったく違う楽器構成となった。この4人でよりアグレッシヴでパンキッシュ、かつナイーヴなアルバム「Quiet Zone:Pleasure Dome(静粛喚起)」を発表。Davidも2曲でゲスト参加。その後のツアーでは、そのラウドでノイジーな破壊的なアンサンブルが、パンクの時代にあってもなおその力を見せ付けるかのように展開された。その記録が2枚組ライブアルバムとして発表されたのが「Vital」である。このライブではDavidがゲストとして何曲かで登場している。

末期の音楽は、スタジオ・アルバムとライブが一つずつしかないこともあり、それだけですべてを語るのは難しい。ただ、それらは非常に対照的にも聞えるし、やはり同じ音楽だと感じることも出来る。凶暴なセンチメンタルとでも言うべき独特の響きは、ヴァイオリンによるものなのか、楽曲によるものなのか。聞き様によってはPeterのソロ作品のようだと言う意見もあるが、聞き直してみればやはりこれはバンド作品である。

再生期(2004-2005):

死ぬ前にもう一度、という思いから始まった「リユニオン」。言葉の文字通りの意味を重んじるなら「同窓会」。一番バンドとしてのイメージの強い「クラシック4」として、Peter, Hguh, Guy, Davidの4人が再結成を果たした。2000年に、Virginレーベルから4枚組「The Box」を発売するためにメンバーが集まり、昔のわだかまりも含めて全部を整理したことも、この再結成につながっているのだろう。そして、「このメンバーで集まって、本当にもう一度スパークするものがあるのか?」これを確認するために2004年2月にセッションを行って、再結成の決定を行ったという。

実際にファンの前に姿を現した、2005年の3月に発表したスタジオ録音の新作「Present」では、歌もの中心の作曲された楽曲からなるDisc1と、練習セッション時の即興演奏だけからなるDisc2とで構成されている。昔のアルバムとは多くの面で異なっているが、根底にあるVdGGという存在は変わっていない。このアルバムから2曲を加えたレパートリーでツアーを行っている。バンドは、再結成後最初のライブである2005年5月のロンドン、Royal Festival Hallでの公演を完全収録したライブ・アルバム「Real Time」を残している。後期からの楽曲を中心に、前期からと新作からの楽曲を織り交ぜた素晴らしいものである。

新生期(2006-):

The Power Trioとして再スタートした再結成VdGG。しかし、この時点で、バンドはもはや「同窓会」ではない。3人でのツアーを2007年に行い、完全な新作「Trisector」を製作し2008年3月に発表予定。昨年のツアーでの映像や音はインターネットを通じていくつかを見ることが出来たが、3人とは思えないパワフルな演奏に驚かされる。Peterの器楽奏者としての比重が増えたことが以前よりもさらにバンドのテンションを高める結果となったようで、Davidの脱退を災い転じて福と為していると言っていいだろう。

(宮崎)