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◆Van der Graaf Generator 解説2 <Music> |
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・カリスマ・レーベルの創設者トニー・ストラットン・スミスは、ピーターの音楽に惚れ込んだ故に、単なるマネジメントから自身のレーベルを起こすに至った。 ・デビュー前から、DJジョン・ピールがその音楽に多大なる興味を持ち、積極的に自分の番組で紹介を行った。 ・ジミ・ヘンドリックスは、デビュー前のVdGGを前座としてイギリス国内をツアーしている。 ・キング・クリムゾンのロバート・フリップはロンドンのクラブ「スピーク・イージー」にわざわざVdGGのライブを見に行き、その後ゲストとして2枚のアルバムでギターを弾かせてもらっている。当時ロバート・フリップがほかのバンドのアルバムにゲスト参加するというのは極めて珍しいことだったにもかかわらず。 ブリティッシュ・ロックという世界は層が厚い。アメリカで開花したR&BやJAZZ、カントリー音楽はイギリスに入ってくるや、多大なる影響を若者に与えたが、その「影響」はまったく以って「イギリス的なるもの」に昇華された形で花開いた。それが「ブリティッシュ・ロック」というカテゴリーを世界的な存在にしたのである。1960年代後半に、やはりアメリカで始まったフラワー・ムーブメントとサイケデリック・ミュージックがイギリスでも大きく盛り上がった。デビュー前のピンク・フロイドやソフト・マシーンが繰り広げる音楽には、ブルースやR&B、Jazzの要素が渾然一体となって何がなにやら分からない音楽を生み出していた。一方で、ビートルズやゾンビーズ、ザ・バーズなどのメロディの美しい音楽も様々な音楽的な冒険を繰り広げながら、単なるポップスの領域に留まらない活動を行っていた。 VdGGが登場したのは、そんな時代だった。 VdGGの個性は、一つにはピーター・ハミルの書く楽曲そのものにある。ピーターは「音楽」を正式には学んだことがない。彼は理系の学生だったので、彼の書くメロディやコード進行は、最初から「音楽理論」を無視したものであった。意図的に音楽理論に反することをやっていたのである。故に、クラシックの音楽理論に精通している人の多くから、敬遠されることとなる。コード(和音)やハーモニー(和声)、音階・スケールといった、多くのプログレッシヴ・ロックのグループが突き詰めようとした音楽理論的な整合性や、その理論に対する逆理論とはまったく別の次元で楽曲は作曲され、アレンジされていった。この傾向は特に前期のアルバムに顕著である。そのため、「陰鬱な」とか「重たい」という批評もされたことがあるが、実際には複雑、怪奇、ヘヴィ、シリアス、悲壮的などという形容がなされることが多い。そこがまたプログレ・ファンには、前期の人気が高い理由でもある。 後期では、パワフルでありながら、ストイックな叙情性とでも言うべき音楽性は、もはやどのようなバンドとも比較が成り立たないほど唯一無比の存在となっている。所謂シンフォニックというのでもなく、かといってジャズ・ロック的でもないし、ブルースでもない、ポップスでもないその音楽は、多くのプログレ・ファンを魅了した一方で、前期で見られた複雑さや、テクニカルな部分は、より洗練され、むしろ、一聴するとストレートな音楽表現として、メロディアスでありながらハード、重厚でありながら破壊的、ヘヴィでありながら流麗という特徴を備えており、ハードロックから入ったファンや、パンクやグラム系のファンにもアピールしたようだ。特に末期では、オルガンがなくなったことに加え、ピーターのギターが破壊的だったこともあり、よりパンク的な破壊力が聴衆に対して強烈にアピールしたようだ。 VdGGのファンにとって、VdGGとは、前期と後期の二つのイメージの合わさったものであることがほとんどだ。末期はまったく別扱いされることが多い。 VdGGの個性の中でもとりわけ顕著なものとして、ピーターのボーカルがある。ピーターがひときわ素晴らしい声をしていることは、誰もが聴けばわかるのだが、彼の「うた」は、その声を最大限まで使ったものであり、その聴き手に与える作用を言葉にするのは難しい。もちろん通常の意味での「上手さ」があることは言うまでもないが、「魂」とか「気迫」とでも言うべきものが込められているとしか言いようがないものであり、「神がかり的な」とか「鬼気迫る」と評されることが多いのも、彼の歌が、全身全霊を打ち込んだものであるからこそである。このピーターの「うた」に影響を受けたとされるアーティストとして、ピーター・ゲイブリエル、デヴィッド・ボウイー、ジョニー・ロットン、マーク・アーモンド等の名前が挙がっている。もちろん、それぞれ強い個性を持っている人ばかりである。 一方、バンドの音楽の骨格を支えるのはオルガンのヒュー・バントンであり、ドラムスのガイ・エヴァンスである。ピーターの各楽曲そのものがVdGGの音楽の骨格だとすると、この二人の生み出すアンサンブルがVdGGの音楽の血であり肉である。そしてピーターのボーカルが顔であり、表情である...、と解釈できるようなコメントをピーターは何度か行っている。もちろん、多くの異論があるだろうが、ヒューとガイの二人が紡ぎ出す音が、VdGGの音楽の最も根幹をなすものであることは、今回のトリオでの公演を見れば明らかであろう。 ガイのドラムスは、決してテクニカルなものではないし、取り立ててパワフルというものでもない。しかしながら、数年前に21st Century Schizoid BandでのIan Wallaceの代役の話があったことでも分かるように、実際にはしっかりしたテクニックとパワーに裏打ちされたものである。つまりクリムゾンでも通用すると看做されたということの意味するとおりに。ガイのドラミングの特徴は、その重さがまず挙げられる。これは決して力で叩きつけることによるものではない。むしろ、歯切れが良いと言うよりは流れるような叩き方から生まれるものである。そのリズムの正確さは驚くべきもので、それは、特に前期の複雑な楽曲を聴けばすぐに分かるだろう。 ヒューのオルガンは、教会オルガンの流れを汲むものである。一方で、がんがんに歪ませた音を用いた演奏も得意としている。極めて複雑なフレーズをこともなげに弾くのだが、決して派手ではなく、アンサンブル重視で、所謂キーボード・ソロを取ることはない。また、ヒューはエンジニアでもあり、自分の使うオルガンには様々な改造を施し、独自の音を作っていった。バンドでは、オルガンを弾きながら、これもまた改造したベース・ペダルを演奏しており、それがまたとてつもなく大きな音で鳴らすのが好きなようだ。ヒューの足は並みのベース・ギターよりもテクニカルだ。前記、後期を通じて、時折ベース・ギターも演奏しているが、それをステージで目にすることが出来るのは稀だったようだ。 ピーターは、歌以外にエレクトリック・ピアノやギターを演奏する。ともに決して上手い訳ではないが、ヒューやデヴィッドと上手く絡んでアンサンブルの奥行きを広げている。基本的にはバッキングに徹している。トリオとなって、器楽演奏者としての役割の比重が増したのは間違いない。
(宮崎) |