Peter Hammill Official Japanese Website inVerse
■Top ■最新ニュース ■News Letter ■公演 ■ディスコグラフィー ■歌詞 ■試聴
■刊行物(詩集、カセット)  ■リンク ■インフォメーション・コメント ■プライバシーポリシー

 

29/August/2006     28/December/2005     26/March 2004   (ニュース要約Ex-ex 内にもあり)  

Sofa Sound Newsletter

2006年8月29日

ごきげんよう。

これまでの2006年中、〜公的には〜とても静かにしていたのが奇妙に見えたかもしれない。

プライベート(そして若干の公演)において、私はとんでもない大騒ぎをしていたが、もちろんそんな証拠は本年中今のところほとんど外には出てきていない。

けれども、これからの数ヶ月間は最新作から古いがいいものまでリリースの嵐だ。

また、秋が来たらもう一度ツアーでステージを踏む。

そういうことで、このニューズレターは、いろいろな物事の到来をなぞることとなる。そして、後々もっと出てくる…。

とかくするうちに、それではまた。いつも聴いてくれてありがとう。

PETER HAMMILL


古いものについて、新しいものについて…

突然私は半年が過ぎてしまったことに気が付いた。残念だが、皆さんに伝えるべき価値のあるものがほとんどなかったため、大部分の間、私はスタジオ内に埋もれていて、現実やインターネットの世界にほとんど姿を現していなかった。2006年の後半にそれは全部変わることとなる。

『Varacious』について少しばかり述べることで始めよう。Fie!からの最も新しいリリースで、疑うことをしない世界へと今年抜け出してきたものだ。これは、もちろん、スチュアート・"フーリー"・ゴードンと私とがステージの上で行ってきた極限(のいくつか)を記録したものだ。私は過去数年間にわたって、他のどんなフォーマットよりも数多くのライブをスチュアートとのデュオとして行ってきた。そして、そうすることがいつも喜びだった。また、たいてい、私たち両方にとって音楽的な驚きがいくつかあった。私たちは今では、自然に、いかなる瞬間においても相手がどこへ向かおうとしているのか、かなりよくわかっている。また、アレンジの基本的な構造に大いなる柔軟性と冒険が組み込まれている。今では多くの曲を共通レパートリーとして抱えている。そのうちのいくつかについては、いつもちょっとばかり震えながらやっているのだけれどね、少なくとも歌い手のパートは。

いずれにせよ、昨年はこの演奏のいくつかをアルバムの形にまとめるのに間違いなく適切な時期のように思えた。私たちが長年やってきたことを祝う意味で、そして、ソロ/デュオのパフォーマンスが再結集したVdGG -- 少なくとも「時々」というベースではだが -- を含んでいる世界においても現在進行中であることを少しばかりだが示すという意味でも。

いつものように、わたしはまだ、ライブ・パフォーマンスの真の意味は、まさしくここ、まさしく今、特定の部屋で特定の人がステージと聴衆の中にいて起きるものだという考えを持ち続けている。どのような録音も出来事それ自体ではなく、むしろその記録だ。よって、Hooly との公演がどういうものであるかの「完全なる真実」が"Veracious" だというふりはしない。しかしながら、ライヴ録音が、「エンタテインメント」に気づきを与えたり、より考え抜かれ、コントロールされたスタジオ録音とは違うものにする多くの炎と法則を含んでいることは明確だ。誰も、そのどちらかとかその中間とかを選ぶ必要はない。実際、私にとっては音楽を作るためにバランスをとるのに両方とも必要だから、幾つかの点で相反してはいるが、両方を火中の鉄としておくことが重要だ。

決定版としてではなく、『Veracious』は少なくともスチュアートとのデュオ公演の主たる要素をたしかに捉えている。元となった3つのパフォーマンスは、それぞれ少なからぬ時間と距離と主観的な経験によって隔てられている。これも、また、現在進行中のゲームの一部分なのだ。曲のCD収録順を考えている間に、過去にライブ録音された(ソロであろうとグループであろうと)楽曲で今でもライヴの定番となっている曲がいくつもあることに気が付いた。

私はCDにまとめる時にそれらを外すことに決めた。たとえ、私たちのデュオ・バージョンが以前リリースされたものから相当異なっていたとしてもだ。そのかわり、私たちは何年もの間、定常的に新しい楽曲を自分たちのレパートリーに加えてきたのだから、アルバムをほとんどすべてオリジナル・スタジオ・バージョンとしてのみ世に出た楽曲によって構成しようと考えた。当然、それらは私たちがなってしまった『フォーク・デュオ』からは、かなり遠く離れたものである…。私にアラン・セーターをくれ、ディア・ボーイ!

*訳注:アラン・セーター:スコットランド南西部のアラン島でリン・ロス(Lynn Ross)によってデザインされたセーター。最初は漁師たちに好まれ、その後世界各地に広まった。

当然ながら、私は今年5月にスチュアートと短いツアーに再び出かけられてとても嬉しかった。最後の公演からずいぶんと長いギャップがあった。というのも、Van der Graafがその前の期間の私のツアー時間のほとんどを明らかにとってしまっていたからだ。結局、ドイツで例のワールド・カップがあり、うまく日程が調整できず私たちはほんの数公演しかできなかったが。とはいえ、幸いなことに、デュオ公演は、英国での日程(そう!ツアーだ!)を来る10月に、欧州を11月に、ということで続けられる(OK、イギリスは欧州の一部だというのは「分かっている」…私の趣旨がわかるよね?)日程は「ツアー」のページにアップしている。

ところで、言ったように、私は今年の1月から次の真正ソロ・アルバムに取り組んできた。残りのリミックス/最後のオーバーダブ/最後のパニック、あるいは、曲順の並び替えを除けば、数日前の時点で、それはとうとう仕上がった。11月の早い頃か、ことによると10月遅くにもリリースされるだろう。まだタイトルは決まっていない(「ほとんど」決めてしまってはいるが)。一方、カバーはもちろんまだデザインされていない。それは、この段階ではアルバムとしては普通のことだ。それが正真正銘のソロ作品であるという以外に現時点でこれ以上言うつもりはない。

新しい録音とは別に、私はこのところ沢山のリマスタリングを行っている。まず最初に、作り直された最新のFie! カタログは、わずかに『Patience』と『Fireships』だけだが、在庫ができた。両方とも、完全にリマスターされ、(もちろん、ポール・リダウトによって)カバーが作り直されている。ともにしばらくの間在庫切れになっていた。なぜかといえば、部分的には、オリジナルを製作した会社が今私たちが使っている会社(訳注:Fie!のこと)とは違う会社で、オーディオとアートワークのオリジナル・マスターが両方とももはや手に入らないからだ。従って、再プレスを少しでもやるためには、最初からはじめる必要があった。単に複製しクローンを作るというよりも、いろいろアップデートするというまじめな仕事をすべきときだと思われた。つまり、これはマーケティングや再販といった動機によって始められたのではなく、必要性から生まれた仕事なのだ。

これら二つのアルバムは、それらが登場した時点で私のキャリアにおいて異なるポイントにおける私の発展においてきわめて重要なものである。『Fireships』は、結局、Fie!レコーズに現れた最初の新しい録音となった。それはまた、私が続けている作曲とアレンジの姿勢という観点からもきわめて重要なものであった。『Patience』は、楽曲のコレクションとしてはおそらく、ライブ・パフォーマンスにおいて私が何度も何度も使うことになる時代の流れに耐える楽曲を含んでいるという観点から、唯一『Sitting Targets』に匹敵するものである。

リマスター制作に話を移すと…VdGGの全作品(実に『Fool's Mate』も)のリリースに引き続いて、ヴァージンは権利をもっているその後の8枚のソロ・アルバムを出すことを決定した。私は机にかじりついて、それらをきちんとさせ、こすり、磨き、光らせ、出来うる限り最高に見えるよう一生懸命働いていたのだ。これらのうち初期のCDはどうみても、はっきり変な音がしていて、音響的な意味で対応するのが大変だった。しかし、それらはすべてそれなりの魅力があり、もちろん素晴らしい内容をもっている。

最初に出てくる4作品は『カメレオン』、『サイレント・コーナー』、『イン・カメラ』と『ネイディア』だ。それらは9月になる予定だ。『オーバー』、『ザ・フューチャー・ナウ』、『pH7』、『ア・ブラック・ボックス』がそれらに続く。変わったエクストラ・トラックがある。BBCテープあるいは(VdGGリリースと同様に)海賊盤から採録されているもので、『ネイディア』と『ア・ブラック・ボックス』以外のすべてのCDに収録されている。この2枚は、オリジナルの形のままだ。これら2作品に何かを付け加えるのは正しいことのようには思えなかったのだ。私はライナーノーツのようなものをすべてのリリース用に書いた。そしてまた、それらについてより多くのことを後で(だがそんなに遅くではなく)今年二つ目のニューズレターに書くつもりだ。

ヴァージンのいくつかのソロCDが現時点では除かれたままになっている。彼らは今回の8作がどのような売れ行きを示すのかを見定めた上で残りをリマスターするかどうかを決めようとしている。それは私にとっても十分フェアにみえる。だが、もちろん出来るだけ多くの人たちが今回のリマスターを自分自身のために買ってくれ、またそれにより全カタログがもう一度入手可能な(そしてきちんとした形になった)状態になることの両方に興味がある。宣伝メッセージはこれで終わりだ。

おぉそうだ。私はもっと沢山の『アーティスツ・ノート』をそれらのアルバムのすべてとはいかないまでもいくつかについて、近い将来掲載したいと考えている。皆さんの何人かが、この点について私がぐずぐずしているのを嘆いていたので率直に謝っておく。いや、少しばかり遠慮がちにだが。私はいつも、何かしら新しいことをやりたいのだ。過去について長々と話したり、コメントしたり(あるいはリマスターしたりですら)するよりも…。

このニューズレターの大部分は『すべてがはっきりしたら知らせる』類のもので出来ているように思える。でも、『すぐにやってくる』発射台上の別のアイテムは…ザ・デジタル・ダウンロードだ。じきに、ついに私の最近のアルバムが〜徐々にではあるが〜オンラインで入手できるようになろうとしている。マウス・ボタンのタッチと仮想クレジットカードのフラッシュであなたのものとなる最初の二つのFie!からのリリースは、『Patience』と『Fireships』だ。それらはほとんどのフォーマットで、かつ多くの「店」で、きわめて近い将来入手可能になる「はず」だ。それらを提供するサービスについて更なる情報を得次第、ザ・レイテスト・ニュースのセクションに…あるいは、たぶん、専用のページ上に、アップしよう。

最後に、そうだ。VdGGがライブの天空を横切った昨年の道程についての聴覚的/視覚的証拠は具体的かつ合法的な形で、もうすぐ入手可能になるだろう。CD(ロイヤル・フェスティヴァル・ホール)とDVD(レバークーゼン)だ。私たちはいくつかの会社と100年にも思えるような話し合いを行ってきた。〜望むらくだが〜すべては結論が出るところまで今や来ている。それ以上にあえて何を言う?多分、この段階では言えば運命の虜になるだけだ。

おしまいに、VdGGでやっている間に、私はいくつかの明らかにつじつまの合わない噂と発言が広がっているのに気が付いている。この段階で私に言えるのは、すべての公式な発言は、その内的な論理においてずっと真実で一貫している、ということだけだ。このスペースを見ていてくれ。

▲ページの上へ

2005年12月28日

ごきげんよう。

皆さんが思ったとおり、このニューズレターのほとんどすべては2005年におけるVdGGの活動の報告に割かれている。

私について言えば、今のところは…。長いことかかったが、ついに、私は次のスタジオ・ソロCDの作品を書いたり録音したりし始めているところだ。これは、2006年の早い時期に仕上げたい。そしてその後、ソロ公演もほとんど間違いなくやるだろう。この作品の前に別の作品をFie!から出す予定がある。だが、それについて語るのは次回にしよう。

それではまた。いつものように…聴いてくれてありがとう。

ピーター・ハミル


"さぁ着いた、さぁ行った…。"

2005年中、惑星ヴァン・ダー・グラーフを巡る様々なエクセントリックな軌道を経て遂に私は、テラ・ファーマ(地球・大地、)に辿り着いた。全体の話の要約をなんらか報告すべき時だろう。

ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのショーの練習のために再びパイワーシーに集まったことは我々の全員にとって、何か気圧される様な感じの経験であった。「プレゼント」の(注:録音)セッションは自らに課した希望と期待のプレッシャーだけがあったが、今回は、我々がそれぞれ個人として、そして全体として、かなりのスピードを要求されていることを知っていた。(結局、私たちは「プレゼント」が上手くいかなかったと感じていたならば、静かに「プレゼント」から去っていっていたかもしれない。そてて自分たちの近親者以外は誰も何もずっと分からなかったことだろう。)

(注:公演用の)セット(注:リスト)をその中から選ぶつもりの楽曲群に合意した上で、私たちは、できる限り宿題(注:個別の練習)をやった。しかし、−そしてここが重要なのだが−この時点まで私たちは古いVdGGの楽曲を実際に一緒に演奏していなかった。それは、曲の大部分がいかに複雑であるかをもう一度発見するということだった。(実際いくつかのケースでは、いろいろな部分をどのように演奏すべきであったのかを、まさしく初めて正確に決めたのだった!)HB (注:ヒュー)がこの間ずっと、絶対的な強さの塔(注:ヒューが決める主体)であったと言っておかねばなるまい。彼は彼自身が何をやっているのかを正しく知っている用に見えただけでなく、残りのメンバーがどう対処すべきかをも同様に知っていたように思えたのだ…。

私たちは一週間を用意しておいた。十分な時間だと私たちは考えたが、多すぎるということはなかった。期待(これは十分に満たされたのだが)は、リハが終わった時点でたくさんのエッジ(注:尖がった部分)が残っているというものだった。かつての日々がそうであったように、私たちは、一音一音をきちっと演奏するような完璧なアレンジを生み出すことには興味がなかった。むしろ、私たちが探求し、分岐していくことができるような、より有機的でモダンなバージョンに興味があったのだ。それは、ほとんど一時間毎に、脳みそがブラマンジュになるくらい濃密なプロセスだった。最終的に、私たちは演奏可能な 曲のリストを点検することができるようになったし、やがて訪れる困難に対する準備として最後は二、三回完全なセットの通し稽古すらした。

この段階までには私たちは自分たちが使うであろう機材も同様に決めていた。これにはいくつかの重要な決定方針が含まれていた。特に、もちろん、デヴィッドにとってだ。彼の管楽器にはもはや「バグズ」(注:管楽器本体に付ける超小型マイク)がついていなかった。それで彼はFX(注:エフェクト類)の世界に届く(注:エフェクトをかける)ために(注:一般的な)マイクとミキサーにには頼らざるを得なかった。私に関しては、すでに(オリジナル)DX7とBOSSのコーラスというレトロな組み合わせをエレクトリック・ピアノ/クラヴィネット音のために使おうと決めていた。ギターには、モウグリスIII と、私が一番新しく購入した、やっぱりギルド製で、紛れもなく黒いのに関連したものとを選んでおいた。結果的に、その週の終りにディヴォンを離れるとき、私たちはそこそこの自信で満たされていた。

私自身について話すならば、その自信は何日か後にフル・スケールでの上演リハでメンバーと会った時には少しぐらつく様になっていた。ステージ・レイアウトを行い、クルーと初めてのミーティングを行うと、それはとてもはっきりしてきた。そう、これが本当に起きようとしている事なのだ、また、リアルタイムに立ち上がろうとしていることなのだということが。パイワーシーでの練習の最後の頃でさえしょっちゅう起きたように、曲の途中で、我々の頭が真っ白になったら、走り書きのメモとカンペは、私たちを救うのに十分ではない。3日間にわたり「難しい」曲を何度か練習し、観客側と(注:ステージ用)モニターのサウンドに必要なものを確定、セット(注:リスト)を選び…そして2,3回の「何が起ころうと我々は続ける」通しリハに着手したのだ。恐ろしいがエネルギーを与えるもの、少なくともそう言えるだろう。

それで、RFH(注:ロイヤル・フェスティバル・ホール)へ。目的意識があったので−そして個人レベルではたくさんの懸念事項もあったのだが−私の観点からすると、少なくとも私たちは日が近づくにつれて結構落ち着いた人間になっていくかのように思えた。ただ静かに集中し、それからとても、とても突然私たちはステージの上にいた。それは、もちろん、普通ではない経験であった。すぐに分かったのは、私たち全員にとって十分に聴衆がナーヴァスだったことだ。でもまた、彼らがとてつもなく期待していて素晴らしく暖かく歓迎してくれていることも分かった。(ちなみに、そこには全部で27の異なる国籍の人々が集っていた。)

公演そのものはあっという間に終わった。もちろん、エラー・フリーとは程遠いが、本当の意味での大きな自動車事故 (注:大きなミス)はなかった。私たちにとって、そしてそこにいた全員にとって、本当に時間と空間に焦点をあわせた、それは信じられない経験だった。絶対に金では買えないものだ。

この時点で、たくさんの質問に答えておくと、確かに私たちはそのコンサートを録音したと報告することができる。完全なマルチトラックモードで。それをどんぴしゃの形にするために必要な何時間ものリスニングとミキシングと整理という怪しげな栄誉と/或いは楽しみはHBのものとなった。彼は素晴らしい仕事を成し遂げた。公式リリースとして来年早々に出せるだろうと期待している。それは、自然に、本当にリアルタイムで仕上げられたユニークなイヴェントの真のドキュメントとなるだろう。(一方、もちろん、この公演或いは他の公演のいかなるオーディオ、あるいは映像物が(たとえば)Ebayで見つかるかもしれないが、それらは海賊盤だ。個人的には、人々がお互 いに、私たちが行ったこの奇妙な旅(注:VdGG公演)からのちっぽけな『証拠』を交換することは、私には何の問題でもない。しかし、私はまさに反対するのだ、いつものように、それから利益を得ようとする人々に対しては。十分に言ったかな…?)

一月後にツアーのスタートをするに当たり、私たち全員はミラノで本当に神経質になっていた。ロンドンでうまくやったというそのことが、より少なくではなく、より多くのプレッシャーを2番目のショーにもたらした。しかし実際は、ミラノとその後に続いた取り組みがすいすいと運んだ。当然だが、出来事がなかったわけではない。途中で機材のかなりの部分が動かなくなり、私たちはみないくらかの脳細胞を失ったに違いない。それにもかかわらず、きわめて陽気ではあったが。

公演と観客は毎回異なっていたが、すべては宝となる経験であった。自分たちが練習した楽曲はすべて、少なくとも1回は何とか演奏した。(「ラ・ロッサ」と「テーマ・ワン」の回数が少なかったのはすまない。しかし、両方とも他の、よりダイナミックな楽曲に比べて私たちにはちょっとばかりバタついた感じに思えた。)

シェファーズ・ブッシュ(注:公演)は、もちろん、ロンドン爆破(注:テロ)の次の日だった。しかしむしろこのことが私たちに「命を掛けて演奏する」ことをさらに決心させたのだった。レーヴァークーゼンでの公演はTV番組「ロックパラスト」のために撮影された。これは2006年の1月に放送される。後にそれがDVDの形で売られるのかどうかは分からない…。

私の−そして私たちの−感謝を、物事を仕切ってくれた人々、会場に来てくれた人々、そのすべての人たちに捧げる。中でももっとも重要なのは、私たちに素晴らしく尽くしてくれたクルー - 彼らはまったくもっていいユーモアを解し、なによりも楽しい人たちだったが - がいてくれたことだ。別の言葉で言えば、実にVdGGクルーの伝統に則っていたのだ。彼らなくして最後まで成し遂げることはできなかっただろう。

そして今私たちはバンドの歴史のなかで、この章の終わりに辿り着いた。

…そして?

再生したヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレータについて、更なるショーやレコーディングの計画は今のところない。ここ数年の経験の後では、私はバンドに関することで「決して」という言葉を口に出すのは気が進まないが、このラインアップでごく近い将来何かを企てるというのはありそうにない様に思える。素晴らしい経験だったが、時が来た。適当な時期に、事情を更に説明することになるだろうと私は思う。

もちろん、私たちは −理想の世界において− 私たちの計画に入っていただろう数多くの都市や国々で演奏することができなかった。そして、それは少し残念なことだ。でも、覚えているだろうか、これはいつも、再結成というよりはむしろ同窓会であったのだ。私が上に記したすべてによって証明されたように、私たちはいい仕事をその過程においてやってきたと感じている。 − それ自体が祝すべき理由となる。

遺産としてのRFH CD(それとDVDの可能性も)が、私たちが成し遂げたことを証明する役をいずれにせよ担うことを願う。

▲ページの上へ

2004年03月26日

ごきげんよう。

ここ数年ニューズレターは六ヶ月おきに出していたので、昨年12月のドラマティックな号の後すぐに次の号を皆さんへ届けるのはずいぶん急いだように思えるかもしれない。

しかし、嬉しいことに人生は確かに前へとどんどん進む。新しいCDが出たのだ。この号はそのためのものだ。

心臓発作が起きて後、過去数ヶ月の間、私へのご厚意と健康を祈るメッセージを送ってくれた、皆さんすべてに大変感謝している。

私は健康のため分別あるようになろうとベストを尽くしているところで、結構うまくやっている。
とにかく、私はがんばっていこうと強く思っている。

それではまた、いつものように…聴いてくれてありがとう。

ピーター・ハミル

良くて奇妙に、悪ければ躁病的に見えることは分かっている。私は12月に心臓発作を起こしたが、わずか3か月後にはニュー・アルバムが発売された。終わりからはじめることは、たまには説明を始める一番良い方法かもしれない。12月5日、金曜日の午後遅く、私は最新のレコーディングの最終セクションのミックスを仕上げ、それを他の素材と共にしかるべき場所に収め、リファレンスとなるCDを焼き、週末のためスタジオを離れた。私はその前の月の大方も、同じようなことをするのに多くの時間を費やしていたのだ。レコーディングそれ自体は11月に終わり、ミキシングとマスタリングがそれから始まったのだ。私は2,3週間ほどオーストラリアで過ごし(そう、ラグビーのワールド・カップのためだ、皆さんが質問するから言うが)、しかし、そこにいる間ですらあれこれと頭を絞り、何が良いミックスであり、適切な処理であるかを考えていたのだ。12月5日には、私はもっともシンプルなアプローチが最良であるという結論に達していたし、従って音響的なマッサージ(訳注:あれやこれやと音をいじくること)という意味では、あらゆる詰め込みすぎ(訳注:原文はover-egging of the pudding プリンに卵を入れ過ぎること。ユーモアを交えて説明している。)もやめることにしたのだ。このウイークデー最終バージョンは決定版に近いものだとかなり自信を持っていたのだけれども、まだ100%そうだとは思っていなかった。

それから48時間もたたないうちに、人生の平手打ちは心臓発作という形でやってきた。もうそれをいじくりまわすことをやめるべき時だということの確認として、ちょっとばかりショッキングな形で訪れたのだ。明らかに、私はこのCDの作業を終えており、このストーリーはそれまでに出来上がっていた、というのが真実だ。つまり、次のとうりだ。

今回のリリースには、ふたつの主なポイントがある。最初のポイントは、歌詞内容が、様々な形態における言語の可能性のなさと矛盾に関するものであり、また意味と論理において連続性もなく、あるいは、それ自体において、またはそれ自体に対して首尾一貫してもいないということである。二つ目は、より重要なのだが、この音楽作品は、41分以上に及ぶ長さをもつ持続的なものである、ということである。そういうことは、突然或いは知らぬうちに起きたことではないと思われたに違いない。しかし、実際この作品はそれ自体の歪んだ条件のもと、どこからともなく私に忍び寄ってきた、そういうケースなのだ。

私は2003年の3月にレコーディングを始めた。バースのスタジオからの脱出とメルスへの移入を完遂した後でのことだ。いつものように、私はある程度の量のマテリアルを持っていた−特定のアイディアというよりも楽曲の萌芽とでも言うべきものだ−そして、次の方向性を見つけ、定めるためにそれらに目を通し始めた。この段階で私が持っていた唯一の明確なものは、レコーディングはアコースティック・ギターで行うものばかりでは"ない"ということだった。これは、(すくなくとも今のところ)「クラッチ」において"扱われた"ものだった。私は方向性、音色、そして楽器構成については本当に完全にオープンだった。また、この時、私は手を空中に伸ばし、そこに私のために浮かんでいる楽曲をつかもうともしていた。

ごく初期の段階においては、始まりと終わりの部分の核となるものが私のもとを訪れていた。それは、「言語」というものが物事の中心にあるだろうという、いくつかの歌詞的な暗示を伴っていた。元々これは一つの曲を形作っていたが、ある時点で私はそれをりんごのように半分に切り、"割り込み"セクションの最初のもの「ロゴダイダロス」を挿入したのだ(とは言え、しばらくの間、これは、歌詞とタイトルがないままであった)。その後、私が進むにつれ、幾つかのセクションが付け加えられ、挿入され、順応させられ、長く伸ばされ、編集され、転置され、調整された。いくつかのケースでは、歌詞、音楽そしてそれらの間にある連結部は簡単に早く訪れた。他のものでは私は長い時間にわたり途方にくれさせられ、苛立たせられた。最終的には、この作品は40分すべて、CDのすベてを使う作品へと進んでいく - 進まなければならい −ということが明らかになっていった。その後は、やらねばならないことは比較的単純で、機能していない言語要素により焦点が当たっていくにしたがって特にそうであった。これは、全体として楽曲が、音楽的にも歌詞的にも、一つにかたまると同時にバラバラに崩れるべきであることを意味していた。

(脱線:私は長いこと、一枚のCDに理想的な長さは40〜45分であると感じていた。ヴィニール(訳注:LPレコード)の古き制限時間だ。私はなぜか、これが音楽が注意を引きつけるのに自然な時間の長さだと信じている。これを大きく越えると、疲れてくる。これより短いともちろん、ちょっとばかりけちくさい。)

ありのままの歴史からなるこれらのレコーディングについてはもう十分だろう。さあ、背景と内容についてだ。

これは私が制作した「長尺もの」の4番目となるものだ。VdGGの「燈台守」のあと、ソロでの「フライト」と「ア・ヘッドロング・ストレッチ」に続くものだ。そのような作品は、「プログレ」の世界へ私の作品の軌道が最も近くなったものを代表していると言う人たちもいる。だけれども、知ってのとおり、私は自分自身をカテゴリ分類しようとするいかなるやり方からも遠ざけることに全力を注いでいる。最低限でも、これらの楽曲は(複雑な)バンド・サウンドの(複雑な)要素を分かち持つことにおいて一つにまとめられている。「インコヒーレンス」もまた、長く複雑であるが、他の三つとは全く合わない。"うたもの"−らしい、パッセージがあるにせよ、これらは一般的には、他の何よりも、「アッシャー家の崩壊」における歌い通し(sung-through)のスタイルに、より近いものである。また(その2番目の)「アッシャー」のように、打楽器が全く使われていないのだ。私の元々の意図はドラムとパーカッションを特定の場所に加えるものであった。しかしながら、レコーディングとダビングが進むにつれて、私はリズミックな "もの" を押し付けることが、たくさんのリフがクロスする流れを強調するというよりはむしろ弱めてしまうことが分かってきたのだ。

それで私には(バンドというよりもむしろ)突然変異のオーケストラが残った。基本的に様々な電子ピアノの上に、他のキーボードやいろいろなギターや調和と対立という伝統的な役割を担った各種バッキング・ボーカルで濃淡をつけた。最終的な色付けは、スチュアート・ゴードンのバイオリンとジャクソン氏のサックスとフルートによってなされた。このような楽器のセットアップは、何年もの間私のアルバムにおいて現れているし、それはいまだに音の驚きを湧き出させることができる。

音楽のいくつかは、実際オーケストラ的で "ある"。いくつかはスペクトル的な深みがあるものであり、いくつかのパートは直接的なやり方でのリフである。他は、ほとんど音符のそれぞれの動きに従ってパターンをシフトする。言うまでもないが、そのいくつかは並外れて難しいものだ(あるセクションの終わりで、ゴードン氏は思わず『これまで演奏した中で最も変な曲だ』と言わずにはいられなかった)。しかし、最後には、ある種の破綻した論理が流れの中にあり、40分を越える長さにわたり注意力を要求することに対して何らかの報いがあると希望しているし、信じてもいる。ところで私は、これがディナー・パーティー・アンビエンス系統でヒットするとは思っていない。

今度の音楽の大部分にはシフト(訳注:shiftには「変遷」、「盛衰」の他に「術策」、「ごまかし」「計略」の意味もある)と不快さとがあり、言葉が更にこれを増幅している。明らかに私は仕事人生のほとんどを言語を扱うこととそれに迷わせられることに費やしてきた。これは、英語においてという意味だけでなく、全ての言葉とそれらの間にある全てのスペースを意味している。私はいくつか他の言語を使ったり理解したりできる。−自分は流暢だなどと呼べるほど十分ではないのだが、訳したり、表現したりするには十分なくらい、時には「冗談」ももう少しで言えるぐらいにだ。だが、なんとしばしば、そしてひどく、伝えたいことが正確に伝えられないということや自分を明確に表現できないということにますます気がつくようになった。別の言葉で言えば、自分は英語さえ十分に話せないのではないかと思う。こういうことに気がついたので、純然たるフラストレーションが引き起こされ、まず私をここ(訳注:CD)での主題に導いたのではないだろうかと思っている。もちろん、もし誰かがあなたが使う言葉を全く知らないとしたならば、それが意味においてどれだけ正確であったとしても、その言葉は火星語であり−また、それを使っているという意味であなたも -火星人かもしれない、ということは当然だ。また、私たちのコミュニケーション力と理解力が私たちを社会的にまた個人としても定義している、ということもあたりまえのことだ。私たちはあまり多くを与えようとはしない、ということが前提となっている。けれども、私たちはいつも知っているのだ。あまりにも少ししか「得て」いないということを。

「インコヒーレンス」が触れ、こすり、間違ってみがきをかけていることの中から幾つか。言葉を失ってしまうとすると/失ってしまう時のあらゆるものの喪失、思慮の足りない話と話のための話によって生み出される限りのない無意味さ、それ自身の(陳腐化した)定義によって永遠にページにピンで留められた過剰な衒学主義、かつて話されていた永遠に空に漂うあの言葉、私たちが語る未来における私たち自身の存在の不可能さ、二、三の古典的なパラドックスにおける精神的な短絡性、心の中で言語抜きでどうやって言葉が作られるのか、二人分の独り言としての会話、話し言葉の意味が時間/記憶/分析によって破壊され変化させられること、舌が動かなくなった時の頭の中の声、など、など、など…。

つまり、もう一つのPHポップ・レコードである。

いくつか終わりの言葉を。私は、過去数ヶ月にわたるたくさんのご厚情に本当に感謝したし、また(訳注:「私がCDで歌っているいくつかの歌詞で今回の件に関係する」)私自身の歌詞を送ってくれたものについて一度や二度、苦笑いしたものだ。もちろん、心臓病棟の中で自分自身の死についてつくづく考えていた(他にすることはほとんどなかった)間ですら、極端な状況においても歌詞の真理が持ちこたえられるかどうか(訳注:歌詞の意味するところが正しいかどうか)チェックすることがあたかも必要でもあるかのように、いくつかの歌詞が思い出された。しかし、何といっても、頭の周りで鳴っている私が歌った最後の歌詞とともに、往生したり"せず"、遺作リリースでは最後の方になると決めたのだ -- 『…とてもたくさんのことが語られないままに残り、私が使っていた声は先に行ってしまった…』(訳注:原文は韻を踏む)。これだとちょっとあまりに伝記映画的、悲劇漫画的であったかもしれない。とにかく、これが私の身に起こったことの「全編」である…今回は。

最後に…ソファ・サウンドは現在新しい住所になっている。バース(市)ジョージ通り、エドガー・ビル 3、109号室、郵便番号 BA1 2FJ

ステージでの、またスタジオでの仕事にとても早く戻りたい。私はより穏やかに、より落ち着いて(訳注:原文sober には「しらふ」、「酔っていない」、「まじめ」、「酒を飲まない」意味もある)いるかも知れないが。しかし、同じ(変化した)人間であろうと思っている。

前進!次へ!

▲ページの上へ


Peter Hammill
Peter Hammill
 
Copyright (C) Office Ohsawa All Rights Reserved. - 禁無断転載 -