■解説 1
TOP  公演チケット  アーティストindex  Blog「タダならぬ音楽三昧」
インターネット放送  一般リンク  メーリングサービス  サイトマップ
Life with Music  更新履歴  BBS  Company  Real & True の考え方  
情報提供    お問合せ    ▲HOME
David Cross Band
 ≫解説1 ≫解説2 ≫解説3 ≫リンク ≫公演レヴュー ≫Photo

◆ David Cross Band 来日公演 ◆

David Cross は黄金期のKing Crimson のヴァイオリン・プレイヤーとして、その唸り叫ぶインプロ、或いは静かに叙情的に奏でるメロディーラインが脳裏に焼きついているファンの方が多いと思います。David のヴァイオリンなくして当時の極限まで張り詰めた、時には暴力的にさえ思えるリフと攻撃的な不協和音の果てに、魂が高みに吸い上げられるような癒しと安寧の頂きが待っているという当時のKing Crimson 特有の音は完成され得なかったでしょう。

King Crimson を離れてはや30年、その間、独自のキャリアを積みながら着々とソロアルバムを制作し続けてきたDavid Cross。この解説では、David のKing Crimson 関係以外の部分にも注目していただきたいと思います。ミュージシャンとして数多くの録音・制作に参加するかたわら、多くの劇場におけるダンスやその他のフィールドとの異種同居・越境型の公演を自ら制作・監督を行い、ツアーをしたりしています。 1995年には大学で修士となり、現在ロンドンの大学で教鞭をとるDavid ですが、David Cross Band にかける情熱にはとても強いものがあります。1999年には自らのレーベル Noisy Records を立ち上げ、音楽制作の基盤も整ってきているようです。

もうすぐ発売となる新譜 "Closer than Skin" を携え日本公演を行うDavid は、奇しくも公演最終日の4/23 に56歳の誕生日を迎えます。


David Cross の経歴 (David のホームページより引用させていただきます)

・生まれ育ち
1949年、聖ジョージの日(シェークスピアの誕生日でもある)(訳注:イギリスの祝祭日である4/23 http://www.woodlands-junior.kent.sch.uk/customs/stgeorge.htmlに詳しい)にターンチャペル(プリマスの港の向かい)のフィッシュ・アンド・チップスの店に生まれる。父親は教会と映画館のオルガン奏者でダンス・バンドでピアノを弾いていた。David はストーク・ダメラル初等学校で9歳よりヴァイオリンを学ぶ。最初のヴァイオリンはタヴィストックのがらくた屋で1ポンドで買った。学校のサッカーチームではライト・バックをつとめる。

・教育
1960-1967 プリマス大学(プリマス)ラテン語、ギリシャ語と古代史で A レベル。ラグビーをする (キャプテンでスクラム・ハーフ)。
1967-1970 聖ルーク教育大学(エクセター) 音楽とドラマを専攻し、教育学士。大学オーケストラのリーダー。
1993-1995 ミドルセックス大学(北ロンドン) パーフォーミング・アーツで修士。(異種同居越境型 パーフォーマンス、ポスト・モダンアート音楽の構造についての論文、ロック・ジャーナリズムの解釈)

・キャリア
1970-1972 ミュージシャン、作曲家。イギリス全国でフォーク及びロックグループでの公演、レコーディング・セッションなど。
1972-1974 ミュージシャン、作曲家、プロデューサー。ロック・グループKing Crimson のメンバーとしてイギリス、ヨーロッパ、アメリカ、カナダをツアー。EG Recordsのために 5枚アルバムを制作。Virgin RecordsのためにClearlight Orchestraのアルバムを録音。テレビ・ラジオでの放送。
1975-1977 ミュージシャン、作曲家、プロデューサー、音楽監督、俳優。.ロック・インプロのグループ ASCEND を結成、イギリスとナンシー・ジャズフェスティバルで公演。ロイヤル・コート劇場、ロイヤル・コート・アップステアーズ、ブッシュ劇場、ウィンドハム劇場、アーツ・、ミーティング・ プレイスで劇の仕事。
1977-1978 ミュージシャン、作曲家、プロデューサー、音楽監督、俳優。ダブリンでフリーランス、セッション、公演、12人編成のバンドを結成。ダブリン・アビー劇場、ダブリン・プレイヤーズ 劇場、ダブリン・トリニティー大学、ダブリン・プロジェクト・アート・センター。プロジェクト・アート・センターで即興ワークショップを始める。これがRTE テレビで特集される。
1978-1979 ミュージシャン、作曲家、プロデューサー、音楽監督、俳優。劇と音楽のオランダ・ツアーの監督(音楽劇場)。 BBC, ミュージック・ボックス、ICA 劇場、ブルストル・オールド・ヴィック劇場カンパニー。ロイヤル・ブリストル劇場、バクストン・フェスティバル劇場、エディンバラ・アセンブリールームでの制作。ブリストル・アルノルフィ・アーツ・センター。劇場センター(TIE ツアー、ロンドン・マンチェスター・リバプール市内)。
1980-1989 ミュージシャン、作曲家、プロデューサー、音楽監督、監督(音楽劇場)。オーディオ・ヴィジュアルとヴィデオ・プレゼンテーション。ジャズ・グループ及び自らのロックバンドで演奏。イギリス、ル・マン・ジャズ・フェスティバル、フランス RADIO 3 での放映。ライセスター・ヘイマーケット劇場(12夜目)。United Dairies Recordsのためにアルバム 2枚を録音。Dossier Recordsのためにアルバム 2枚を録音。Red Hot Recordsのためにアルバム 2枚を録音。いろいろな録音セッションに参加。ハーフ・ムーン劇場でのMemos From Purgatoryのステージや他の場所でダンサー、ミュージシャン、照明、スライドなどを使用して監督をつとめる。Beckett Music (ベケット・ミュージック)を結成し、リバーサイドスタジオや他のアーツ・センターで公演する。ロイヤル・フェスティバル・ホール、クイーン・エリザベス・ホール、パーセル・ルームや他の会場でDance Company 7(アフロ・キューバン・ダンス)公演。
1990-1999 ザ・プレイス、チャッツ・プレイスなどでPeople Moving Dance Company の公演。ドイツ、ベルギー、イギリスでコンサート。Virgin Recordsより The Essential King Crimson - Frame By Frame ボックス・セット発売。Red Hot Recordsより David の三枚目のアルバムThe Big Picture がヨーロッパと日本で 1992年10月発売。Virgin Recordsが1992年11月King Crimson のThe Great Deceiverを発売。Red Hot Recordsより David の四枚目のアルバムTesting To Destructionが1994年10月、ヨーロッパと日本で発売。ドイツのテレビで特集。Dean Allenとクリエイティブ・パートナーシップを組み、That World(音楽劇)の制作・監督・出演を1995年10月インターチェンジ・スタジオで行う。システム・コルージョン(Geoff Serle - Severe Test)で特集される(1995)。踊りと音楽の作品The Walking Selfをヴェリティー・ブラックマンと作り、1996年3月、チゼネール・ダンス・スペースにて公演。Dean CarterのアルバムPsychomuzackでフィーチャーされる(1997)。King Crimson のThe Night Watchが世界中で発売される(1998)。Joe Hisaishi(Lost Paradise)のアルバムでフィーチャーされる。David のアルバム Exiles がヨーロッパ、アメリカ、日本で発売。Robert Fripp, Peter Hammill, John Wettonの演奏をフィーチャーし、Peter Sinfieldとコラボレート。Noisy Recordsを立ち上げる(1999)。Discipline RecordsがThe Beat Club Bremen (1972)をモノのコレクターCDとして発売(1999)。
2000-2004 Noisy RecordsよりRadius のアルバムCivilizationsを発売。ザ・プレイス (2001) と 291 (2002)にてヴェリティー・ブラックマン(ダンス)とマウリチオ・ピオ・ロッキ(ペインター)とともに制作した異種同居型パーフォーマンスを公演。David Cross Band アルバム Closer than Skin をMick Paul とRichard Palmer-Jamesとコラボレーション。